ももしゃん@丸の内OLを辞めてインドネシアで生活中

たくさんの寄り道を繰り返し、何とか生きてる日々を綴ります。【自由を求めて生きる元丸の内OL】です。/新卒で入った会社では思い描いていたきらきら丸の内OL生活はできないと悟り退社⇒熊本で半年間のニート生活⇒バリ島の高校にて日本語アシスタントとして活動中

適応障害になった話【適応障害と診断されるまで】

こんにちは。
ももしゃんです。


わたしは社会人2年目のころ
適応障害と診断されました。

診断される前とされてからのことを
何回かに分けて書こうと思います。

今回は適応障害と診断されるまでの話です。


ある日突然涙が止まらなくなる

わたしは入社以来、営業職として働いていました。
”ざ・日本企業”で働いており、
営業たるもの飲み会とゴルフのような
古い習慣が残っている会社にいました。


毎日朝から1時間半もの通勤。
(内1時間以上は満員電車)

会社に行って、
打合せ資料を作りお客様のもとへ。

電車で移動中もパソコンを開き作業。
乗り継ぎの間には電話。

夜は残業、またはお客様との飲み会。
そして1時間半かけて帰宅。

1年目の後半から、常に辞めたいと思って
毎日出勤してました。
転職したい。と思っても、
全然行動に移せず。


こんな日々を過ごし、2年目も半分が過ぎた頃。

会社で上司から言われた一言で
心の何かがあふれてきて涙が止まらなくなりました。

今まで削られまくった心の最後の糸が
まさに”ぷつん”と切れた瞬間。


その日は締め日(売り上げを上げるための処理をする最後の日)だったので、
なんとか涙を止めオフィスへ戻りました。

ちなみに涙が止まるまでに2時間かかりました。
(正確に言うと止まってなかったと思う…)

業務を終え、その日も22時ごろに会社を出ました。

帰る時も電車の中で涙が止まらなくて、
マスクしながら涙ボロボロ流していました。
(多分周りの人は花粉症の人だと思ってたと思います。)

家に帰ってからも涙が止まらなくて、
TVをつけてぼーっとして、
でも涙は出続けて。

「あー。涙腺崩壊してるわ。
このままだと明日の朝目が腫れるぞ。」


っていうなんか変に冷静な自分もいて。

寝る前も涙が止まらないし、
変な動機がするし、
もう何が何だかわからないから
早く寝たいけど寝れない。

その日は寝落ちして、翌朝目が覚めました。

何とも言えない目覚め。
そしていきなり流れ出す涙。


部屋から出ることなく、テレビを観るでもなく
休日を過ごしました。

常に涙出てて、もう体の中の水分が
なくなっちゃうんじゃないかってくらい泣いてました。

そしてまた出勤日がきました。

朝起きて、相変わらずの涙。
そして、起きれない。

起きれない=目が覚めない

ではないんです。
ちゃんといつも通り6時前に目が覚めます。

ふと気づくと7時、ふと気づくと8時。
わたしは頭の中でずーっと自問自答を繰り返していたようで
その時間感覚がおかしいくらいに
あっという間に時間が過ぎてて。


「会社に行かなきゃ」という気持ちはあるものの、
ベッドから起き上がれないまま時計を見ると
始業時間ギリギリ。

この日は体調不良ということでお休みをしました。

そして翌日。
この日はわたしが幹事をしていた50人規模の飲み会の日。
行かないわけにはいかなかったので、
朝からの涙もマスクで隠し、出勤。

駅に向かうまでに動悸が激しくなり、
本気で帰りたい!
と思ったけど飲み会のことを考えると帰れず。


満員電車に乗って、涙と動悸のダブルパンチを食らいながら
会社へ向かいました。

その日はお客様のもとに向かう予定もなく、
一日中社内業務だったのでなんとか定時まで乗り切り、
いざ飲み会へ。

飲み会が始まるなり上司から呼び出しを受け、
飲み会のプランに対する文句を言われる。
いつもなら笑顔で「そうですね~。」
といえていたがそんな元気も余裕もなくて、
真顔で「そうですね。」って言ってたと思います。

わたしの異変に気付いてフォローしてくださる先輩や同期。

無事に?飲み会が終わり、
店から出る間際にも文句を言ってくる上司。

もう、悲しいとか怒るとか笑うとか、
なにかの感情を顔に出した時点で涙があふれるのがわかってたから
常に真顔でいました。

(きっとみんな怖かったはずw)

もちろん2次会には行かず、
その次の日から会社へ行けなくなりました。


適応障害と診断される

その飲み会の次の日も、その次の日も
毎朝6時前に起きてました。
ただ、ベッドから起き上がれない。
そして涙が出る。

「行かなきゃみんなに迷惑かける。」
毎日このことを思って、行こう!と
頭の中では何回も決めて、でも行けなくて。


そんな日々を3日くらい過ごして、
これわたし精神的にやばくないか?と気づき、

とりあえず涙を止めるような
精神安定剤をもらおうと思い精神科を受診しました。


外に出るのが怖かったのを覚えています。
そして電車に乗ると動悸がするので、
バスで向かいました。

病院ではお医者さんの前に、
カウンセラーさんとお話をしました。

「会社に行きたいけど、涙が止まりません。
なにか精神を安定させる薬みたいなのがほしいです。」


この言葉を、涙ボロボロ流しながら言ってました。

カウンセラーさんは
「会社をお休みしたほうがいいですよ。
そのために上司がいるんです。」

って言ってくれて、なんか不安な気持ちもあったけど、
少し気が楽になりました。

そのあとにお医者さんからの診察。

さっきカウンセラーさんに言った言葉を
そのまま伝えました。
本当に会社に行かないといけない!と
常に思っていたから、何か薬はありませんか?と。

お医者さんは
「今会社に行って仕事ができますか?
仕事は普通の状態の7割動けないとできないよ。
今のあなたは3割もないように見えます。」


と言って、そのあとに

「薬を出すことはできます。強い薬もあるし、
それが希望なら出せないこともない。
でも、少し会社をお休みしてみたらどうですか。」


といってくれた。

ここでやっと、わたしはいま仕事に行っても
何もできないし、休まないといけないんだって感じました。

この日に”適応障害”と診断され、
会社の人事にもそれを告げ、
しばらく会社をお休みすることになりました。


わたしは会社の寮に住んでいたため、
同じ寮に住んでいる人事のポストに診断書を入れ
会社に提出してもらいました。
そこから休職の手続きを進め、
とりあえず1か月お休みをすることになりました。






次回は適応障害と診断されてからの
生活について書きます。